印象派の画家として名を馳せたクロード・モネ。代表作「睡蓮」をはじめ、生み出した数多くの作品は世界的にも評価されています。光や色彩を美しく表現した絵画が多く、現代では知らない人はいないほど著名な画家です。しかし、モネの人生は困難の連続で、印象派としての長い闘いの連続でもありました。本コラムでは、モネの生涯と作品について紹介します。
1840年フランスの中流家庭に生まれます。モネは子供のころから絵画の才能を発揮しており、自身で制作したカリカチュア(風刺画)を売っていました。やがて、モネの師匠であるウジェーヌ・ブーダンに才能を見出され、モネは画家としての道を歩み始めます。
19歳になったモネは、絵画を学ぶためパリへ移ります。自身のカリカチュアを売って稼いだお金で学校に行き、家業を継ぐことを望んでいた父親を説得したのです。
1847年、カミーユ・ピサロやピエール=オーギュスト・ルノワール、エドガー・ドガなど印象派の画家たちと共に、最初の印象派展「印象、日の出」を催しました。しかし、当時の常識を大きく打ち破る印象派の絵画は、売れるどころか強く批判されてしまいます。
1833年になるとモネはノルマンディーに移り住み、1926年に亡くなるまで「睡蓮」を主題にした絵画の制作に打ち込みました。モネにとって苦難に満ちた時代です。印象派の仲間で最後の生き残りであったルノワールが亡くなっただけでなく、モネ自身も白内障に苦しめられていました。心身ともに追い詰められたモネを支えたのは、親友のクレマンソーです。
クレマンソーに勇気づけられ、モネは白内障の手術を受ける決心をします。当時、白内障の手術は難しく苦痛を伴うものであり、この決断がモネにとって大きなものであったことは想像に難くありません。そして手術は成功。モネは総長80メートルをこえる大装飾画「睡蓮」を制作しました。
本コラムでは、クロード・モネの生涯について紹介しました。モネは移り変わる世界や光を、独自の色彩で描き続けた画家です。生前は多くの困難に苛まれたモネ。しかし彼の絵画は高く評価され、多くの人々を魅了し続けています。